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毒親への罪悪感を抱えたまま大人になって
しまったあなたへ

90日で毒親から取り込んだ不要な罪悪感を
解放し「 親軸」から「自分軸」へシフトする
“書き出す親離(しんり)カウンセリング”

親離カウンセラーの井上秀人です。

元タカラジェンヌ(元宝塚歌劇団花組あうら真輝)の東小雪さんの自伝本、
「なかったことにしたくない 実父からの性虐待を受けた私の告白」について

宝塚では初めて「レズビアン」であることをカミングアウト、
父親からの性虐待、東京ディズニーリゾート史上初の同性結婚式を挙げたなど
色んな経験を経て、今はLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字)
の支援活動に力を入れられています。

こちらです。

東小雪 「なかったことにしたくない 実父からの性虐待を受けた私の告白」

【本文からの抜粋】
—————————————————————–
・小学校時代に不登校児だった私は、中学や高校に進んでもいまひとつクラスに
とけ込めないでいた。自分でも、どうしてまわりの子たちのようにスムーズな
関係が築けないのか、わからない。仲が悪いというわけではないのに、私と彼女
たちの間には目に見えない透明な壁があった。まるで、自分ひとりだけが水槽の中
にいて、クラスメイトは水槽の外にいるような気がした。目の前の友人たちに
直接関われないもどかしさを、ずっと抱え込んでいた。

・「私、将来ミュージカルの舞台に立ちたい」私が語る将来の夢に、父はまんざらでも
なさそうだった。「そうかぁ、それなら上京して、劇団四季の研究所かな?」
しかし、母の反応はニベもなかった。「何言うとるがいね!あんたなんかに劇団四季
なんて無理に決まっとるがいね。バレエもダメやったがに」切りつけるような否定
の言葉は、私の心に突き刺さった。そうか、劇団四季は無理なのか・・・。
お母さんが言うんだからきっとそうなんだ。母の言葉には有無を言わさぬ強烈な
力があった。お母さんが言うんだから間違いないと、私な何の抵抗もなく、母の言葉を
信じた。

・あれほど憧れていた宝塚をやめてしまった。もう二度と戻れない。宝塚に戻れなければ
私なんか生きている価値がない。宝塚をやめた私は母に認めてもらえなくなる。いや、
もともと私には生きる価値なんてなかったんだ。私は根っからのダメ人間なんだ・・・・。
後悔と絶望、母に対する猛烈な罪悪感。とつぜん、こみ上げてくる制御できない激しい
怒りの感情。私は答えの出ない、底なし沼にひきずり込まれ、死にたい、死にたい、死にたい、と
心の中で叫び続けた。

・私には「境界性人格障害」という病名がつけられていた。はじめて自殺未遂をして、救急外来から
精神科に移された時、「境界性人格障害ですね」診察室で医師からそう告げられたのだ。いまは
「境界性パーソナリティ障害」というようだが、私にとっては、どちらもあまり変わらない。
境界性人格障害とは、感情や行動、対人関係などが不安定になる障害のことだ。底知れぬ不安が
衝動的な行動となって現れ、周囲の人間を巻き込んでさまざまなトラブルを引き起こす。
不安でたまらないから、つねにだれかに依存しないではいられない。

・振り返れば、私は子供のころからずっと、つねに父や母の意向を優先してきた。たとえば、
子供の頃の私は「子供というのは、お父さんとお母さんに嫌われたらごはんが食べられなくなって
おなかがすいて死んでしまう」と本気で思っていた。その思い込みはほんの数年前まで続き、
ある時友人に「子供って、みんなそうだったよね」と当然のように同意を求めて、一笑に付された
ことがある。それほど、無意識的に父や母、とくに母に従属していた。

・三歳のときから両親の意向で子役をやらされた。母にバレエやピアノのお稽古ごとをさせられた。
私が子役やバレエをやったのは、自分のためというより、両親を喜ばせたかったからだ。
自分が何を感じ、何が好きで何をしたいのかを、両親に聞いてもらえなかった。
たまに自分の意思で「劇団四季に行きたい」と言ったりすると、「あんたなんかに無理」と
即座に否定され、言われるままに母の言葉に従った。父といっしょにお風呂に入ることも拒否
できなかった。子供のころの私はつねに両親の意向を先読みしていた。父や母に嫌われたく
なかった。もし、嫌われたら東家で生きていけなくなると、心の底から思っていた。

・ほんの少し前までは、漠然としたものにすぎなかったひろこさんとの結婚式。それが、ディズニー
リゾートで、ふたりともウェディング姿で挙げられるというのだ。運命とは不思議なものだ。
あの日の一本の電話が、いまの私とひろこさんの生活につながっているのだから。
ふと、「同性どうしでも式を挙げられるのかしら?」と疑問を覚えたとき、「どうせ、結婚式は
挙げさせてもらえないんだろうな」とあきらめないで本当に良かった。あきらめないこと。
そして、決めつけないこと。マイノリティ性を持つ人や、生きづらさを抱える人ほど、それが
むずかしいのは良くわかる。それでも、自分で自分をあきらめないでいたい。あきらめずにいれば
思いも寄らないような素敵なかたちで、道が開けることがきっとある。

・「フツー」や「常識」の枠のなかに戻らなければならないと、あがいたこともあったけれど、
次第に「その枠って・・・だれが決めたんだっけ?それってほんとうに正しいものなんだっけ?」
という疑問が生まれ、その疑問は「どんな人も、そのままでいい。ありのままで生きていい」という
答えにつながっていった。世の中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があるし、あっていい。
私はカミングアウトしたいと思ってしたのだし、カミングアウトしてよかったと心から思っている。
もし、私に勇気があるのだとしたら、それは外に知らせる勇気ではない。自分に素直になって、
私自身と向き合う勇気だったのだ。そのおかげで私はいま、この生きづらい社会のなかで、信頼できる
人達に囲まれながら、自分がほんとうにやりたいことをさせてもらっている。

・短い滞在期間中に「あの、東さんのお嬢さんなんですよね」と声を掛けられることが何度もあった。
彼らの口から語られる父は、一様に「いい人」で、六年近く過ぎた今でもその死を惜しまれている。
そのたびに、私は奇妙な罪悪感にさいなまれる。自分を責めるのはおかしいとは分かっていても
父を懐かしむ人達を裏切っているように思えて、胸がつぶれそうになるのだ。

・私は、私の「生きる力」を取り戻すためにこの本を書いた。性虐待についての原稿を書くのは、
つらかった。フラッシュバックを起こすこともあったし、なぜか皮膚がかゆくてたまらなくなって
身体中をかきむしり、血だらけになったこともあった。悪夢にうなされ、汗びっしょりになって
浅い眠りが続いたこともあった。この本を出す意味を考え、悩み、やっぱり出さないほうがいいのでは
ないかと怖気づき、泣いた日もあった。
それでも、書いてよかったと思っている。幼いころに自分が受けた暴力としっかりと向き合う事で
私は「私を生きよう」と思えたからだ。私は私自身を「なかったこと」にはしない。私の受けた
暴力も、私のセクシャリティも、ぜんぶ含めて私なのだから。
許すことは、傷つけられた私にとって、ほんとうにむずかしいことだ。でも、私は確かに助けられ
たのだ。だから今度は私が手を差しのべられるようになりたい。すべての行動を「愛」を出発点に
してできるようになりたい。いまだに差別が残る、LGBTやさまざまなマイノリティの問題に向き合う
ときでも、性暴力の問題を向きあうときでも。傷つけられた私は、すぐに愛が見えなくなってしまう
けれど、だからこそ、いつも愛を思い出して、愛に戻れるようになろう。

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東さんという方を私はこの本で初めて知りました。

壮絶な過去の体験、性の問題など、隠したいコンプレックスを
公に公開したことは相当な勇気がいったと思います。

本にもその時の葛藤は書いてありましたが、同じような
悩みを抱え日々孤独を味わっている人には大きな希望となることでしょう。

親との問題は現在も進行中との事ですが、きっと乗り越えて
素敵な家庭を築いていかれるのだと思います。

今後の人生をどうやって生きていけばいいか分からない、
人間関係が上手くいかない、
行動できない
行動してもすぐに諦めてしまい、元に戻ってしまう

気が付いたら、自分の人生を生きてこなかった・・・・。

私はカウンセリングを通じて、

“親の人生ではなく、正直に自分の人生を生きたいあなたのことを

応援します。

その一歩を踏み出す為の、最適なコンテンツをに興味のある方は
⇒こちらに詳しく書いてます。

【編集後記】

自分の人生を自ら切り拓いて生きていく事は責任も必要だし、言い訳もできない。
でもその感覚を味わったら、もう後戻りできない。
いつでも自分がどうしたいか、どんな人生を生きたいか、この事を忘れないようにしたい。

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