毒親への罪悪感を抱えたまま大人になって
しまったあなたへ

90日で毒親から取り込んだ不要な罪悪感を
解放し「 親軸」から「自分軸」へシフトする
“書き出す親離(しんり)カウンセリング”

親離カウンセラーの井上秀人です。

私が学生時代、お笑いブームの先駆けといわれた番組がありました。
今では大御所と呼ばれているお笑い芸人を世の中に認知させるきっかけとなった番組。

「ボキャブラ天国」

という番組です。

きっと名前を聞いた事ある方もいることでしょう。

そこで初めて知ったお笑い芸人の「松本ハウス」という芸人の強烈な方・・・・

と言えば、「か・が・や・で~す!!」で有名なハウス加賀谷ですが、
ハウス加賀谷さんは人知れず心の病に苦しんでいました。

その病名は「統合失調症」

病院に通い、グループホームに滞在し、精神病院の隔離病棟にまでいく事になった
ハウス加賀谷さんがその強烈なキャラクターにも勝るとも劣らない、
強烈な自伝を出版されています。

こちらです。

ハウス加賀谷 松本キック 「統合失調症がやってきた」

相方の松本キックさんの事を私は良く知らなかったのですが、
とにかく人間力が豊かで器が大きい方で、すごいな~と感心しきりでした。

ハウス加賀谷さんも松本キックさんがいたからこそ、お笑い芸人として
復活しようと頑張ってこれたのだと思います。

内容も読みやすく、コンビ愛にも感動する、とてもおすすめの本です。
何より読後感がさわやかで、自分も頑張ろう!と背中をそっと押してくれる本です。

【本文からの抜粋】
—————————————————————–
・ぼくは小さい頃から、自分の正直な気持ちを口にしたことがない子供だった。
いつも親の顔色をうかがい、求められるであろう、ベストな選択しを先読みして答えていた。
「バイオリン習ってみる?」「うん、やってみる」「水泳教室いく?」「それいいね、行ってみるよ」
良い子でいなければいけない、親を喜ばせなければいけない、そう思い返事をしていた。

・加賀谷家には暗黙のルールがあった。テレビは基本的に禁止で、見ることができたのは、
NHK教育の海外ドキュメンタリー番組のみ。ただ、こうした情報環境だと、友達と話が
まったくかみ合わない。ぼくは当時人気だったザ・ドリフターズも知らなければ、
欽ちゃんも知らなかった。

・当時、ぼくのお父さんは荒れていた。お酒が入った父さんが、母さんと喧嘩するようになっていた。
母さんが語気を強めて反論すると、父さんが物に当たる。本棚、食器棚、部屋のドアに箪笥。
家の中の物がグチャグチャに壊されて、母さんが泣く。ぼくはその光景を見ている事しかできなかった。
泣きながら、布団に潜り込むのが精いっぱいだった。そうした修羅場が毎日のように繰り返された。
あまりに辛く、ぼくは母さんに聞いた事がある。「父さんと、離婚しないの?」
母さんは、諭すように僕に言った。「ママの経済力ではね、あなたを習い事に通わせてあげる力がないの。
潤ちゃんのためなの」ぼくは加賀谷家の生命線なんだ。母さんの期待に応えるため、もっと頑張らなければ
いけないと思った。「一流の大学に行き、一流の会社に就職する事が、潤ちゃんの幸せになるの」
それが母さんの口癖だった。母さんの願いの強さはよく伝わっていた。ただ、一流の企業に勤めている
父さんの姿を見ると、その言葉の意味は分からなくなった。

・自分は周りから臭いと思われている。そう思い込んでしまう精神疾患を「自己臭恐怖症」という。
今も通院している病院で知ることになるのだが、中学2年のぼくはそんな専門用語など知る由もない。
まして自分の心が病気に侵され始めているなんて思いもよらなかった。幻聴も同じで、ぼくは、ずっと
本当に聞こえている声だと思い込んでいた。みんながぼくのことを「臭い」といっている。
それだけが、ぼくにとっての真実だった。だからといって、「いじめ」だと考えたことはなかった。
実際、いじめはなかったし、いじめられているという発想にはならなかった。逆に自分を責めていた、
臭くて恥ずかしい。臭くてごめんなさい。自分の匂いがみんなに迷惑をかけている。
ぼくはぼくの心をいじめていた。

・罪の意識がぼくを孤独に追いやった。それと同時に、ぼくを追い詰める世界への憎しみも膨れ上がっていった。
どうしてぼくだけがこんな目にあわないといけないんだ。うまくやって楽に生きている人もいるのに。
ぼくだって、恵まれた環境があればスイスイ泳げるのに・・・。ぼくは「臭い」と言われて孤立した原因を
社会の責任にすり替えようともしていた。世の中が悪いんだ。ぼくには、何もしてくれないじゃないか。
こんな世の中なんてつぶれてなくなってしまえばいいんだ。そのうち「世の中は、全部敵である」と
思うようになった。

・「かがちん、臭い」という声は、学校や外で、絶え間なく聞こえてくる。やっと逃れられたと家に
着いても、戸惑う両親に腫れ物扱いされるばかりで、少しも休まらない。ホッとできるはずの
空間すら、ぼくの場所を奪っていく。いつ家庭内暴力へと発展してもおかしくなかった。

・ある日の診察の終わり、母さんが「ちょっと待っていてね」と、ぼくを診察室から先に出した事があった。
先生と二人きりで相談しているのだろう。待合室のソファーで待つと、母さんは三十分ほどして戻ってきた。
「加賀谷さん」会計の為に呼ばれて、受付に行く母さん。ぼくも後ろについていく。そこで驚くべき
事実を目にしてしまった。「こちらの袋が潤さんのお薬で、こちらの袋がお母さんのお薬です」
母さんも診察を受けていたのだ。この事実は衝撃としてぼくの心に突き刺さった。

・キックさんや芸人仲間に、落ちている姿を見せないようにした。誰にも気づかれたくなかった。
具合の悪さを気づかれたならば、また不安と焦燥と孤独の闇に引きずり戻されてしまうから。
ぼくにとって「芸人」という職業は、初めて見つけた「居場所」だった。やっと手にいれた居場所を
ぼくは失いたくなかった。壊れたぼくでもありじゃないか。壊れているんだから、騙し騙しやって
いくしかない。「舞台は最高、人生は最悪」みたいな言葉もあるじゃないか、と頑張った。
芸風もギリギリと言われたが、シャレじゃなく、本当にギリギリの綱渡りをしていた。

・大嫌いな自分を認めてほしいから頑張る。頑張ると評価され、認められていく。
認められるほど、自己否定は強大になっていく。この悪循環が化け物となって、心に巣食い
夜も寝かせてくれない。ぼくは、最悪への道を歩んでいた。

・人を怨む、世間を呪う「負の力」で生きていたぼくは、「負」の恩恵しか授からなかった。
自分以外を攻撃することで、正当化し、作り上げた自分はもろい。調子を崩すと待ったなしに、
自分を殺せと牙をむく。暴れ出した「負の力」は、手がつけられなかった。自分ひとりでは
どうすることもできなかった。ようやく自分の愚かしさに気づいたのは、入院して一歩引いた
ところから自分を見るようになってからだ。ぼくは自分を恥じて、これからは「正の力」で
生きていこう、と心を改めた。一人で生きているわけじゃない。人に感謝し、人に喜んで
もらおう。偉そうなことを言えるほどできてはいないが、一歩ずつでも、半歩ずつでも、
前を向いて、笑いながら歩いていきたいと思う。

・ぼくの人生には、芸人の道しかありえなかった。人生は謳歌すべきだとぼくは思う。
自分がやりたいようにトライしてみる。失敗は当たり前だし、くよくよもするが、
諦めたらそこですべてが終わってしまう。怖くてなかなか踏ん切りがつかないけど、
できることはできる範囲でやっておこう。まずは毎日の体調管理とダイエット。
頭の回転はなかなか速くならないので、最低限の体力をつけることにした。規則正しい
生活をベースに、ウォーキングをしっかり続けた。コミュニケーション能力を回復
させるために、アルバイトもやった。失敗の連続だったけれども、自分の得手不得手を
あらためて知ることができた。

・社会の偏見は根深く、なかなかなくならない。だけど、ぼくは、偏見が無くなることを
期待するより、自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ。ぼくは、もう1度、ぼくの
やりたいことに飛び込んだ。現状を動かしたいと思って飛び込んだ。
正直、後先のことは考えていなかったけど、動くことで、何かが変わることもある。
ぼくは周りの人に恵まれたこともあって、今もこうして芸人をやれている。
みんなに感謝しながら、無理をしすぎないで、やっていくよ。
年をとっても、みんなを笑わせ、みんなと笑っていられるといいね。
みんなありがとうね。感謝しています。

—————————————————————–

この本が出版されたのが昨年の夏頃ですが、今も芸人として舞台中心に活動されています。

幼い頃から習い事や塾に行き、良い学校に入っていい会社に就職することが
幸せなんだ。。。と親に言われ、親を喜ばせようと頑張る姿は、

私の幼い頃とダブって見えました。

今後の人生をどうやって生きていけばいいか分からない、
人間関係が上手くいかない、
行動できない
行動してもすぐに諦めてしまい、元に戻ってしまう

気が付いたら、自分の人生を生きてこなかった・・・・。

私はカウンセリングを通じて、

“親の人生ではなく、正直に自分の人生を生きたいあなたのことを

応援します。

その一歩を踏み出す為の、最適なコンテンツをに興味のある方は
⇒こちらに詳しく書いてます。

【編集後記】

リリーフランキーが表紙帯にこんな言葉を書いてました。
「馬鹿は死ななきゃ治らない。でも、生きてりゃ治る馬鹿もある。夢あるよねぇ」
多くの人に愛されているハウス加賀谷さん、その真っ直ぐでひたむきな生きる姿に
勇気をもらいました!ありがとうございます。