毒親への罪悪感を抱えたまま大人になって
しまったあなたへ
90日で毒親から取り込んだ不要な罪悪感を
解放し「 親軸」から「自分軸」へシフトする
“書き出す親離(しんり)カウンセリング”
親離カウンセラーの井上秀人です。
心理カウンセラーの石原加受子さんの
「母と娘のしんどい関係を見直す本」について
親との確執や共依存関係、アダルトチルドレン、毒親本についてはまだまだ少ないですが
本屋でもチラホラ見られるようになってきました。
親という人間にとっては共通のテーマでもあり、何より身近だからこそ
人には言えないような悩みを抱えている方もいる事でしょう。
今一度、あなたの親子関係は健全か?
そんな視点で見てみると新たな発見があるかもしれません。
なぜなら、当人にとっては自分の家庭は「当たり前」「普通」だからです。
他人の家庭と比較検討しづらいし、幼い頃からずっとそこに居るのが自然だったので
親はそんなもの、と思いがちです。
でも、そんな親との関係が今のあなたの人間関係に大きな影響を及ぼしているとしたら・・・・。
親との関係を見直してみて損はないはずです。
特に母親と娘の関係にフォーカスした本になります。
こちらです。
【本文からの抜粋】
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・子供が勇気を持って押し通したその主張は、母親たちによって、いつのまにか失敗
する方向に導かれてしまうことがあまりにも多いのです。もちろん、母親たちは
娘を気遣ってアドバイスしています。けれどもその心の底には、いつまでも娘を
自分のもとに置いておきたいという気持ちがあります。それで、娘が自分のもとを
羽ばたいていくのを防ぐため、無意識のうちに、その自主性を奪う行動に出てしまうのです。
・母親思いの「いい娘」になろうと、頑張ってしまう人たちがいます。母親を失望させたくない、
自分は世話になったのだからと考えて、自分を殺して母親の意見に従います。そしてガマンに
ガマンを重ねてパンパンに膨らんだ心が破裂して、結局、母娘の関係がこじれてしまいます。
けれども、どうしてそんな状態になってしまったのかが分かりません。実は、親子ともに
自分達の無意識の言動に気づいていないのです。
・言うまでもないことですが、幼い子供は庇護者なしには生きていけません。親が子供の心を
十分に受け止めず、常に子供の存在を否定するような言動ばかりとっていれば、子供はまるで
生命の危機に直面するような恐れを抱くことでしょう。親がいなければ生きていけない。
そんな恐れを抱き、見捨てられないために、生きていくために、子供はつねに親の顔色を
窺いながら生きることになります。そんな生き方をしていれば、自分の気持ちや感情が
置き去りにされるだけでなく、自分の欲求や希望にすら気づかなくなっていくでしょう。
もちろん、自分を大事に出来ないのですから、苦しい人生になっていくのは言うまでもありません。
・心の奥では、自分らしくいたい、自由でいたいと欲求しているけれど、そうすることを
許されてこなかった人たちは、不思議な話ですが、自分が自分らしくあろうとしたり、自由を
求めたり、自分を大事にしたりすることに罪悪感を覚えます。また、そうすることに恐れを抱きます。
それは、自分らしくあろうと行動して、それを拒否され、否定され、力で抑えつけられた経験が
恐怖を伴った痛みとして蘇るせいもあるでしょう。
・自分の家庭や親子関係が、自分の生き方や考え方、物事に対する対処の仕方に影響を及ぼしている
そしてその結果、家族以外の人間関係に問題が起こってしまう。それらは全て、家庭で身について
しまった偏った常識に起因している。親子関係に摩擦がなく、その問題が表面化していない人たちは
こうした事実に気づくことはないでしょう。さらに場合によっては、自分がどんなにひどい状況に
なっても、親に問題があったという事を認めたがらずに、「いいえ、親はぜんぜん悪くありません。
親には迷惑かけてばっかりいます。いまも面倒を見てもらっていて、私がダメなんです」
などど、親を懸命にかばおうとする人さえもいます。
・親から繰り返し受けた、大小さまざまな仕打ちに対してマイナス感情を抱きながらも、
「苦労しながら自分を育ててくれたんだから、親に感謝しなければならない」と、無理に肯定しようと
すれば、矛盾する自分の心に苦しくなるでしょう。自分の中で親に対するマイナス感情がしこりに
なっている限り、どれだけ真摯に「親に感謝しなければならない」と考えていたとしても、親に
心から感謝の気持ちを持つことはできないでしょう。
・成長の過程で「愛が欲しい、自分をわかってほしい」という気持ちが満たされていない場合には、
大人になっても、それを求め続ける事になります。親に愛を求めるのは、「いまの自分」ではなくて
「子供のころの自分」。過去の思いがいまだに解消されていないから、子供であったときの自分の
気持ちを、子供目線で求めてしまう。だからつい必死になってしまう、という事なのです。
悲しいことに、そうやって「わかってほしい、認めてほしい、愛して欲しい」という気持ちを親に
求める人ほど、親子関係で満たされた経験が乏しかったことが多いのです。
・家族同士が争い、問題のある言動をとっていれば、子供はそれも学習してしまいます。親自身と親の
言動パターンを学習した子供が問題のある言動で交われば、その関係は問題を生みやすく、またその反対に
適切な言動で交わることでより適切な関係となりやすいことは、説明するまでもないでしょう。
家族や親子は、それぞれが似通った言動パターンで動いているため、そのパターンが問題だと気づきにくい
ところがあります。
・そもそも「感情はコントロールすべきものだ」という考え方そのものが、間違っていると私は
考えています。むしろ感情は、自分に何が起こっているのかを知るための「情報」であるという捉え方です。
情報である感情を、情報としてキャッチするどころか、無視したり、抑え込もうとするから、問題が
生じたときにその問題がいっそうこじれたり、悪化していくのだと言えるのです。
・戦う意識で生きている人にとっては、人生は「勝ち負け」でしか見ることができません。戦って
いるのですから、相手に屈服するわけにはいきません。そのために「そうだね」と同意することは、勝負に
負けたも同然の恐怖を呼び起こします。感情のレベルで恐怖を抱き、絶対に負けてはならない、そう思って
しまうのです。戦っている人にとって、敵だとみなしている相手と「理解し合う」という関係が成立するわけ
がありません。確かに、子供が黙って自分の言う事に従っているときは、「素直ないい子」なのかもしれません。
が、子どもが自分の思いと少しでも違ったことをすると、感情的になって拒否したり否定したくなるとしたら
それはどうしてでしょうか。
・親は、自分たちの親(わが子にとっては祖父母に当たる人々)から学習した言動パターン通りに動いて
いて、それをそのまま子供に伝えます。たとえ自分の親とは異なるやり方で子供を教育しているつもりでも
結局は「まったく同じやり方」をしている事が多いのです。
・こんなふうに親は自分のような人生を子供に歩ませたくないと願いつつも、気づかないうちに、
自分の親と同じやり方で、子供に接してしまっています。子供が成長したとき「自分と同じやり方を
している子供」を見て、愕然とする親もいますし、子供自身も、親に反発しながらも、成長して結婚したり
家庭を持ったりすると、実は親と同じやり方をしている自分に気づいて愕然とすることも少なくないのです。
・たとえば親と話しているとき、こんなことはないでしょうか。
●親は正当なことを言っている。間違っているわけではない。
●親の主張も心配も的を射ている
●それでも、どこかにそれをスッキリと受け入れることができない自分がいる
●モヤモヤが残る。聞いているだけで苛立ってくる
●腹が立つ。聞いているだけで不快になる・・・
このように「自分の感情」が否定的に反応しているとしたら、どうか自分の「感じ方」のほうを
信じて欲しいのです。どんなに親が正当な事を言ったとしても、どんなに親の言う事が正しい
と思えたとしても、自分の感情が肯定的に感じられなければ、「親は自分を認めてくれていない」
と判断していいでしょう。あるいはその反対に、釈然としないながらも親の主張を優先する自分を
感じたのなら、あなたは「自分を認めていない」と言う事ができるでしょう。
・人は誰でも、たとえ親子であろうと、自分の安全を守られているという安心感が土台にあってこそ
心を開けるものです。相手が自分の安全を保障してくれなければ、自分が安全を感じられる居場所を
確保するために行動する。無断で自分のテリトリーに侵入してくる相手に「ノー」を言うことに
どうして罪悪感を抱く必要があるのでしょうか。自分を守ることに罪悪感はいりません。
・どうして正論をかざしてきつく言ってくるのか。そこには、自分がはっきりと自覚できるものとは
異なる「無意識の目標」があります。それは、「人と接していたい」という欲求です。裏を返せば
私たちは「孤独になる恐怖」を抱えています。孤独に陥ってしまうと、生きていることすら価値が
ないように感じてしまうでしょう。とりわけ親は、気力的にも体力的にも老いを意識していて、孤独
になることを恐れているでしょう。こんな根源的な恐れも加わって、子どもに依存していたいと
思ってしまうのです。
人のため(親、配偶者、舅・姑、子ども)に生きていた人ほど、自立心が育っていません。誰かに頼って
生きていないと怖い、と思うほど依存的です。その目的を達成するために「子供に小言を言って優位に
立つ」という方法で、子供に依存しようとするのです。もちろん、親は自分にそんな依存性があるなどとは
露ほども考えません。多くの問題の根本はここにあります。
・あなたが子供の目で「親がかわいそう」と感じてしまうとしたなら、それは「同情」という名で支配
されている可能性が高いでしょう。同情の支配で最も手ごわい所は、それを拒むと「強烈な罪悪感に
襲われる」ということです。その罪悪感が「愛」から生じるものだと勘違いし、ともすれば振り回されて
しまっている人は多いのではないでしょうか。
・この「同情の支配」は、親ばかりでなく、子どもにとっても有害です。それは子供が「自分のために
生きようとすると、激しい罪悪感に襲われる」からです。本来、親にとってはこれは祝福したい事です。
子供自身もそんな自分に誇りを感じ、歓びを持てるのが自然でしょう。にも関わらず「同情の支配」は
それを許しません。それは、多くの親が、無意識のところで「子供が自立すれば、自分は見捨てられる」
と思っているからです。そんな無意識の恐怖が、子供の幸せを願う気持ちを上回った時「同情の支配」
をしようとしてしまうのです。一方「親が願うは子供の幸せ」と言いつつも、「親が理想とする子供の
幸せ」を子供に押し付けようとする親もいます。そして、もしも子供が親の理想から外れるようなことが
あれば、子供に罪悪感を覚えさせようとするのです。
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母と娘の関係にフォーカスしていますが、父親やパートナー、お子さんとの関係などにも
置き換えて読むことができます。
この本で1番メッセージとして強く感じたのは、
「他人のため」ではなく「自分のため」に人生を生きませんか?
という事だと感じました。
悩める方のほとんどに共通していることは、他人軸で生きている事です。
自分を犠牲にしてまで相手に依存している限りは、本当の意味で自分の
人生を生きているとは言えませんよね?
まずは
「自分の生き方ってどうだろう?」
そんな視点を得る為にも、親との関係を見直すきっかけになる
良書だと思います。
カウンセリングは自分を客観的に見ることで
視点を変えてくれます。
視点を変えることで感情が変わり、行動も変わります。
悩んでいたころのことが嘘のように、今を生きること可能です。
私はカウンセリングを通じて、
“親の人生ではなく、正直に自分の人生を生きたいあなた”
のことを本気でサポートします。
その一歩を踏み出す為の、きっかけに興味のある方は
⇒こちらに詳しく書いてます。
【編集後記】
自分の学びのためと思って本を読んでますが、やはり私も好きなのですね。
親との問題を扱う本は集中して読んでしまいます。
親との関係が原因で悩んでいる方に少しでもお役に立てられる情報はないだろうか?
そんな目線で見ているので、私自身が学びを深める事が出来ているのだと感じます。
1人でも多くの悩める方々の生き辛さを解消するきっかけにこのブログがなれば、と
願ってやみません。