毒親への罪悪感を抱えたまま大人になって
しまったあなたへ

90日で毒親から取り込んだ不要な罪悪感を
解放し「 親軸」から「自分軸」へシフトする
“書き出す親離(しんり)カウンセリング”

親離カウンセラーの井上秀人です。

今日は書評になります。

この記事の目次

私は私。母は母。(加藤伊都子著 すばる舎)の書評

母娘関係に悩む方に向けた本になります。最近、毒親という言葉が
だいぶ浸透してきました。

特に母と娘の関係が多いですね。

この本はそんな毒母から自由になるためのヒントが詰まってます。

以下、本から抜粋した内容を記載します。

母娘関係の特徴と解決へのヒントを学んでいきましょう。

本文抜粋

■母との関係のありようが今の生き辛さにつながっているという女性の場合
共通に見られる傾向として、自己尊重感の乏しさ、自信のなさ、自己主張や自己決定の
できなさ、完璧主義、人間不信などがあげられる。

■娘たちは母を嫌っていることそのものに罪悪感を感じている。「母を嫌い」と口にすることは
娘に解放をもたらす。嫌いと言ったからといって母を捨てる訳でも何でもない。
嫌いという感情は間違いでも何でもなく母娘葛藤の始まりには母への娘の関わり方にある。
母を嫌っているという自分の感情を認めない限り、いつまでも母の呪縛からは逃れられない。

■母に変わってほしいと思うとき娘は苦しむ。しかし、母は娘の希望通りに変わってくれない。
そこで娘は、今度は変わってくれないことにも苦しまなければならなくなる。
苦しいから変わってくれと願い、願いが通じない事に苦しむ。それは時に怒りになる。
そして怒りにとらわれている自分を恥じ、責め、さらに苦しむことになる。
変わらない母に苦しめられる娘は、変わってくれと願う事で、さらに苦しむ。

■自分と母との葛藤をちょっと距離を置いてみる。自分は母の何をどのように嫌だと感じているのか、
またそれはなぜなのか。こうして自分自身を客観的に眺めてみる作業が「相対化」である。
自分と母との葛藤を文章にしてみる。あるいはグループで話す、カウンセリングで話すという行為が
この相対化に役立つ。
こうした作業を通じて、何を考えているか分からない、理解を超えた大きな存在である母を
等身大の女性として見ることができるようになる。

■男性である息子や夫は自分のケアをしてもらうことは考えても、自分がケアをすることは考えない。
母と同性である娘は、母の側に立ち、そんな男たちに腹を立てる。
母親にとって、娘だけが、家の中で自分を癒し、支えてくれる人となる。
両親の仲が悪い娘は、母の価値観をそのまま受け取り父親を嫌悪する。いずれにせよ、母の不幸を
吸収すると同時に、娘は母の怒りや不如意感をも吸収していく。娘は、母親の不幸や正しさを
証明する存在となる。

■罪悪感を感じたなら、その行動は自分のための行動として間違っていないことになる。
罪悪感は自分が自分の人生を生き始めた証であることを知れば、その苦しさも少しはラクになる。
罪悪感をねじ伏せながら行動しているうちに、罪悪感は薄らいでくる。
母の意に沿った行動をやめることで、娘の心の中で大きな位置を占めていた母親の存在が
徐々に小さくなっていくからである。
罪悪感は、自分の人生のスタートを切るための通過儀礼、言うならば母の娘であった自分と
別れる痛みである。

感想

この本を読んで一番印象に残って感化されたことは、

「罪悪感は感じても良い」

と言うこと。

通常は罪悪感は悪いもの!と捉えてしまうが、今までの自分の感情と
ずれているからこそ、そこに違和感を感じる。

と考えると、

罪悪感は今までの苦しい自分から解放されるためのサインなのだと、
納得です。

と言ってもそう簡単に切り替えは出来ない人もいます。

長年苦しみ続けてきた母との関係ならなおさらですよね。

でも考え方1つで楽になれます。

罪悪感を感じたら、まずはその感情を受け止める。

そのための方法が本文抜粋にもありましたが、相対化です。

自分のありのままの気持ちを文章に書く。
人に話す。

このようにしっかりと表に出すのです。
抑圧からは何も生まれません。

むしろ行き場を失くして、いつ爆発してもおかしくありません。

あなたもそんな経験を何度もしてきたのではないでしょうか?

罪悪感は通過儀礼。そう思いましょう。

もう1つ、私が考える新たな視点があります。

それは、

「母(親)に期待しない」

これに尽きます。

人間関係全般に言える事ですが、相手に期待しても決して
相手は自分の期待通りに動きません。

逆の立場だったら、勝手に期待されても困りませんか?

期待しても何にも良いことはありません。

決して期待するな!とは言いませんが、期待して勝手に傷ついて
辛い思いをして相手を責めるのでは、本末転倒。

それはただのエゴです。
ただ自分の思い通りにならない事に苦しんでいる。
まるで自分で自分の首を絞めるようなもの。

期待しても相手を責めない。期待通りの反応ではなくても
受け入れる。

この事が大事だと私は思います。

しょせん、相手の事はコントロールできません。

だったら相手よりも自分に期待しませんか?

自分の事はコントロールできます。

ちょっと辛口でしたが参考になったら嬉しいです。

親のことを悪く言うことに罪悪感を感じてしまうあなたへ
親の人生ではなく自分の人生に正直に生きるヒントはこちら。