冨永愛 愛なんて大っ嫌い

■ コラム

毒親への罪悪感を抱えたまま大人になって
しまったあなたへ

90日で毒親から取り込んだ不要な罪悪感を
解放し「 親軸」から「自分軸」へシフトする
“書き出す親離(しんり)カウンセリング”

親離カウンセラーの井上秀人です。

今日は書評になります。

最近、たまたま目について読みました。

元スーパーモデルの富永愛さんの自伝的な本です。

富永愛 「Ai 愛なんて大っ嫌い」

触れると切れそうな鋭利な言葉たち、前のめりな危ういバランス感、
強烈な生い立ち・・・、とにかくハードな内容でした。

でも、家族や親への不満や恵まれない環境をバネにして
強く生きる姿には共感を感じる人もいると思います。

母親と同じような育て方はしない!と幼い頃に心に強く決めたのに
自分の息子に同じような思いをさせている自分に気づき・・・。

機能不全家族というマイナスな環境、高身長というコンプレックスを強みや
力に変えて愛する息子とともに前に進もうとして行動している姿に深い愛情を感じます。
長渕剛さんがバックアップされているのですね。本の最後にその事に触れていました。

【本文からの抜粋】
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・今になって思うのは、子供の最大の弱点は、母が絶対であるということだ。
どんなに理不尽だと思っても、母の行動や言動を好意的に解釈しようとする。
子供には、そういう健気な能力がそなわっている。そして、母親というものの
ずるさは、子供のそうした感情を、十分すぎるくらい知っている事だ。

・両親がいるような普通の家庭には、いくらなかの良い子の家でも遊びに行ったりしなかった。
ふつうの幸せな家庭を見るのが怖かった。そんなものは、テレビや映画の中にしかない。
現実世界には存在しない。そう言う事にしておきたかった。信じようとしていたものが
壊れるのが怖かった。でもそれ以上に、自分がふつうの家庭のあたたかさに触れてしまう事は
母への裏切りだと思っていたんだろう。

・やはり父がいないという事実は、片腕をもぎ取られたような感覚とでもいうのだろうか、
ことあるごとにわたしを、自分は大切な何かを欠いている、という気持ちにさせた。
と同時に、それは、人に隠しておかなければならない事だと思っていた。自分の「欠如」が、
他人にばれやしないかと、いつも、どこかで、びくびくしながら生きていた。
でも、そんな思いを母に悟られてはいけなかった。わたしは、母にとって私が感じてはいけない事
父のいない寂しさとか惨めさとかを感じている事を気づかれないように、注意深く行動しなければ
ならなかった。気にしないふりをして、だいじょうぶなふりをして、母のご機嫌をとりつづけなければ
ならなかった。

・ルームライトを消して、誰もいないベッドにもぐり込んだ。洗いたてのシーツにくるまりながら
息子が1人でベッドに入るところを想像した。涙が止まらなくなった。彼の抱えている孤独の深さが
わたしにはよく分かった。明るく振る舞ってはいるけど、それは母に心配をかけまいとしてのことだ。
かつで、私が私の母の前でそうであったように。

・結局、なし崩し的にモデルを始めることになるんだけど、モデルを始めることで、それまで必死に
抑えてきていた母への反発心が日増しに強くなっていった。私にとってモデルという仕事は、母から
自立するための唯一の手段だった。それは、精神的自立であると同時に、経済的自立でもあった。
そう、モデルをすることは、わたしにとって手っ取り早くお金を稼ぐための手段。そうしないと、
お昼ご飯も食べられなかったし、PHSも持てなかったし、修学旅行にも行けなかった。そんな高校生、
いる?放課後になれば、今日のアルバイトかったりーな、なんて言いながら、行かなければならない
時間ギリギリまで、みんなでタムロする。でも、みんながサボっても、私は行かなければならない。
「愛はいいな」高校時代、クラスメートが言った。「なんで?」「だってさー、モデルとか超かっこいい
じゃん。きれいな服着せてもらってさ、なんか楽しそうじゃん」「・・・・・」「あたしなんてさー、
ファストフードだよ。いらっしゃいませ!ポテトと一緒にドリンクもいかがですか?・・ばっかみたい。」
「・・・・」「いいなー、愛は。わたしも背が高かったらモデルになれるのに」
私は言った。「でもあんたの家、お父さんとお母さんがいて、貧乏じゃないだろ?」
その子はそれ以上何も言わなかった。

・ファッション業界に対する私の嫌悪感や不信感は、少しずつ出演するデザイナーの格も上がり、
名前が売れ出して、海外のマスコミや関係者の私に対する態度が変わり始めてからも、変わらなかった。
むしろ、強まった。じゃあ、なんで、この仕事続けてんだよ?と言われれば、わたしにはそれしか
なかったからだ。子供の頃から私を苦しめ続けた背の高さを生かせるたったひとつの道だったからだ。
そして・・・・・「怒り」だった。まだ、橋本のあいつら、わたしをバカにしたすべてのやつらへの
復讐は終わっていなかったからだ。わたしの復讐の旅は終わっていなかった。

・わたしは人が怖い。平気なふりをしていても、人との関係をどうやってつくっていったらいいのか、
本当には分からないでいる自分をいつも意識している。誰といても、相手と自分の間に、薄い
ベールがかかっているのを感じる。周囲のすべてとの間に、膜のようなベールがある。

・トップモデルをやっていた十年間はあなたにとってどういうものでしたか?
「闘いの時代でした。」
何と闘っていたのですか?
「全部です」
全部?
「欧米を中心としたファッション業界、アジア人ということで受けた差別、自分の生い立ちからくる
コンプレックス、そして自分自身。」
ずいぶんたくさんのものと闘ってきたんですね、疲れた?
「少し。でも私の人生では避けて通れないものでしたから。」
これで闘いはおしまい?
「・・おそらく、また違うものとの闘いが始まるんじゃないでしょうか」
最後に。あなたにとってランウエイとは?
「・・・ようやくつかんだ私の居場所。小さい頃から、ずっと背が高いことがコンプレックスで、
思春期には自殺も考えたりもした私が唯一輝ける場所・・。なんだかんだいって、私にはモデル
しかなかったですね。モデルという職業に出会えたことを感謝しています」

わたしはずっと自分が大嫌いだった。おそらく、引退を決意したときもまだ、そうだった。
でも、唯一、ランウエイを歩いている時の自分は好きだった。誰にも邪魔されないで、何も考えないで
ランウェイを歩いている時の自分。自由だった。距離にしたら、わずか三十メートル、長くても五十メートル
くらいでも、それは永遠に続いているように思っていた。でも、その先のランウェイは自分で作って
かなきゃならない。私の予想通り、その日からまた、違うものとの闘いが始まった。

・不安だった。母親である事に加えて、この子の将来にかかる養育費を稼ぐこと、大黒柱の父親の役も
やらなきゃならない・・・。だから、休む暇もないくらい、仕事を入れていった。それによって息子との時間が
減っている事は分かっていた。でも、仕事を入れた。そうしていないと不安だった。次第に感覚が麻痺していった。
それが当たり前になっていった。仕事と子育てを両立させる現代のかっこいい女性像の1人として、たくさんの
取材を受けた。テレビにも出演した。シングルマザーと言う言葉に踊らされて。本当の私の心が、とてつもない
罪悪感にさいなまれていく中、テレビの中では、違う「わたし」がつくられていった。

「・・・・お母さん・・・」「・・・なーに?」「・・・ぼく・・・・・ぼく・・・・・・・・・」
「・・・・・・・?・」「・・・ぼく、生まれてこなきゃ、よかった。」
いきなり鈍器で頭をぶちのめされたように感じた。その瞬間、世界が止まった。
凍り付いたように固まった私の頭の中に、息子の声だけが響いた。「ぼくは生まれてこなければ、よかった・・」
刺すように響いた。こんな哀しい言葉を聞くとは思ってなかった。こんな哀しい言葉を吐かせてしまうとは思ってもいなかった。
中学のころ、わたしはあたたかい家庭をつくるんだ、と固く誓ったはずなのに、わたしは息子に、幼い頃の私以上に
つらい想いをさせてしまった。傷つけて生きていたんだ・・・。
ダメだ!ダメだ!このままでは、たいへんなことになる。

・なんだろう、この穏やかな時間は・・・。毎夜続く高熱とは裏腹に、私のこころは静かだった。
やがて寝息を立て始めた息子の規則正しい鼓動を感じながら、やっとここまできた、と思った。
自分への境遇を呪い、否定し続けた日々。母への憎悪と父へのあこがれ。二十代に入って、トップモデルと騒がれ
るようになっても、やっぱりわたしのこころはいつも怒りと淋しさでいっぱいだった。愛して欲しいと
願いながら、誰も愛せなかった。わたしがわたしを愛していなかった。
わたしは何より、自分自身に怒っていた。私は何より、自分自身を大切にしてこなかった。私には、
自分を愛する資格も、誰かを愛する資格も、誰かに愛される資格もない、そう思い込んでいた。
でも、今私のかたわらには、私を誰よりも必要とし、私の愛だけを求めている息子がいた。
その息子を愛している私がいた。

・私は今、幸せを実感している。過去を振り返る旅だった。痛かった。ときおり目を覆いたくもなった。
考えもしなかった、本当の自分を探す旅だった。幼い頃からこれまでの三十二年間の人生の、深く深く
心の奥底に潜んでいたわたし、真実の私に辿り着けた。
十七で人を憎しみ、殺したいと思い、モデルの世界に入ったわたし。貧乏を呪い、バラック小屋を呪い
ふつうの家庭に育つ級友を羨ましく思い、わざと悪びれて、タバコを吸い、不良仲間とタムロし、
先生に刃向ったわたし。わたしが呪い続けた、私の境遇。劣悪な境遇。
でも、それは、全部、必要なことだったと、だって、そんなに不遇になかったら、今の私はいないから。
人間は全てを生きる力に変えられる。悲しみも、苦しみも、喉の奥が張り裂けて血を吐くような孤独も
人間というのは、すべて力に変えられる。
今、わたしは、それを確信する。
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三十年間というまだまだ若く短い人生ですが、トップの世界を自力で掴んだ人間の
片鱗を垣間見れたような気がしました。

文章量も多くないので、1時間あれば読み切れると思います。

私自身、共感できる部分は多かったのですが、現在、親との関係を強みとした
カウンセリングを実践している中で、改めて気づきもありました。

環境は問題ではない。過去の事実は変えられないが、そのコンプレックスをバネにして
多くの出会いを糧に、人はいくらでも成長し続けていく事ができる、

そんな事を教わりました。

無意識に過去に捕らわれ、なかなか前に進めない多くの悩める方にとっては
励まされる内容だと思います。

“親の人生ではなく、正直に自分の人生を生きたいあなたを
私は応援します。

その一歩を踏み出す為の、最適なコンテンツをに興味のある方は
⇒こちらに詳しく書いてます。

【編集後記】

この本を読むまでは、そんなに冨永愛さんの事を存じ上げてなかったのですが
とても親近感が湧きました。また違った見方で彼女の事を見て、応援したいと
思います。

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